有名になっても晴れない心の孤独とお釈迦様の教え

「孤独」といえば、一人ぼっちになることを想像しますが、家族や友人に囲まれていれば寂しさはなくなるのでしょうか。

充実して順風満帆そうに見えていても、じつは人知れず悩みを抱えている場合もあります。

今回は、有名になっても晴れない心の孤独と、明るい心になれるお釈迦様の教えについてお話します。

目次

自由気ままな暮らしでも憂いは無くならない

水戸黄門で有名な水戸光圀の歌にこんな歌があります。

『ただ見れば 何の苦もなく水鳥の 足にひまなき 我が思いかな』

一見、自由気ままに好きなようにスイスイ泳いでいて、気持ちよさそうだな、と思いますが、見えない水中では足をバタバタさせて浮いています。

それと同じように「助さん、格さん、こらしめてあげなさい!」「ハッハッハ!」と笑顔でお気楽な黄門様だなぁ~というイメージですが、誰にも言えない深刻な悩み憂いを抱えているのだ、とうたっています。

有名人の自殺が物語る孤独

テレビのニュースや新聞で有名人が自ら命を絶つ訃報に、「毎日充実しているように見えたのに…」と驚くことがあります。

幸せそうに見える華やかな芸能界ですが、人知れず悩んでいる人が多いのでしょう。

日本は豊かな国で物質的には恵まれていますが、自殺者数は年間約2万人を越え、その数は交通事故で亡くなる人の約5倍にも上ります。

幸せで充実をしていて、満足している人が自殺をすることは考えられません。便利になった、豊かになったことがイコール幸せとは言えないようです。

モノの豊かさでは埋められない心の豊さの問題です。

美味しい食べ物を口にしたら、好きな人と一緒になれたら、快適な生活ができたら、多くの人から賞賛されたら、好きなだけ寝ておれたら幸せですよね。

確かに肉体は満たされるのですが、心は飢えていて、渇いているのです。心が寒い寒い、と震えているのです。
心が満たされてなく病んでいるのです。

その心にフォーカスされた方が仏教を説かれたお釈迦様なのです。

本当はどんな人も孤独なこころを抱えている

お釈迦様の言葉に「独生独死 独去独来」という言葉があります。

「独」という字が実に4回も使われています。「独りぼっち」と聞くと親も兄弟も子供も失った、天涯孤独になってしまった人のことや、友人がいない人のことを想起するかもしれませんが、そんな人だけが「孤独」なのではありません。

心の奥底を分かってくれる人、理解してくれる人が居なくて寂しいのです。

悩み相談でも、具体的な解決法をアドバイスするのではなく、相談者の辛い気持ちに寄り添い、共感する、つまり「親身になって話を聴く」だけでも相談者の心は軽くなります。「分かってもらえた」と救われた気持ちになるのです。

これだけで悩みのほとんどは解消されます。

100%本当に分かってくれる人は実はありません。ですから人生は底知れぬほど淋しいのです。

心の奥底を理解する仏教

どんな人の心でも、その奥底まで仏教は理解します。

仏教とは仏の教え、ということですが、仏様とは「見聞知」のお方です。私たちの普段の姿を見て、その声を聞いてくださり、誰にも伺い知れない心の奥底までをも知ってくださるのです。

心のすべてを理解された時、私たちは救われた心になります。

底の知れない淋しさを感じる人生も、限りなく楽しく明るい人生となります。

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