誰にも言えない心の寂しさを解消するブッダの教え

誰かと一緒にいても、ふとした時に寂しさを感じることはないでしょうか。家庭があり友人も多い人、たくさんのモノを持って豊かな暮らしをしている人でも、心の奥底に寂しさを感じている人もあります。

この記事では、寂しさを感じる原因とその解消法を紹介します。

目次

心にさみしさを感じるのはどんな時?

家族や友人に囲まれていても、ふとした時に寂しさを感じたことはないでしょうか。

まわりの人から「いい人」と言われ、順風満帆そうな人でも、人には言えない寂しさを抱えていることがあります。

また、退職したり、子どもが独り立ちして、とつぜん心にぽっかり穴があいたような孤独感や空しさを感じる人もあります。

「さみしい」とは、何かが欠けていて物足りない気持ちや、人の気配がない心細さを表します。次のような時に私たちは心にさみしさを感じます。

大事なモノを失ったり、大切な人と別れた時

生きがいにしていた仕事を退職した時や、大切にしていたモノを手放したり失った時、家族や友人、恋人など、大切な人と別れた時に私たちは寂しさを感じます。

仏教を説かれたブッダ(お釈迦様)は、大切な人やモノとの別離による悲しみ、寂しさを愛別離苦(あいべつりく)と教えられました。人生には、卒業や引っ越し、恋人との別れ、離別や死別など、大切な人やモノと離れ離れになることがあります。

昔から「会うは別れの始まり」とも言われ、愛するものとの別れはどんな人にもやってきます。

自分のことを理解してもらえない時

私たちには「自分のことを認めてほしい」という承認欲求があります。「自分の話を聞いてほしい。自分のことを理解してもらいたい」という心です。

「話を聞いてほしいのに、話ができる相手がいない」とか「職場の人と性格が合わない」など、自分の気持ちが理解されない時に寂しさを感じます。また、相手に気をつかいすぎてしまい、言いたいことが言えないという人もあります。

「孤独は山の中にはない、街の中にある」とも言われるのも、見知らぬ他人同士が街に集まっているからです。見知らぬ人ばかりの都会では、トラブルに巻きこまれないように人間関係に慎重な人が多いため、「都会は冷たい」と感じる人が多いのでしょう。

心に目を向けた時

人間関係もうまく、他人の幸せを考えられる人の中にも、寂しさを感じる人があります。それは、自分自身や相手の心をまっすぐに見つめられる人です。

なぜなら、相手がどんなことを望んでいるか、相手の心を探ろうとすると、自分と相手の心のちがいが見えてくるからです。

そして、自分のありのままの心を知ってもらうことや、相手の心をそのままに理解することが、じつはとても難しいことだとわかってくると思います。

相手は私とは別の見かたをしているとわかればわかるほど、人間とは寂しい存在だと気がつくのです。

恋人と付き合い始めてしばらくすると突然寂しくなったり、不安になったりするのも、相手の心を知ろうとするほど、わからなくなってしまうからではないでしょうか。

なぜ、誰にも言えない寂しさを感じるのか

なぜ心は寂しいのでしょうか。仏教を説かれたブッダ(お釈迦様)は、人はそれぞれ別々の心の世界に生きているからだと説かれました。

なぜなら、今までどんなものを見て、どんなことを聞いて、なにを経験してきたかは一人一人異なるからです。人それぞれの経験や知識でものごとを見ていますから、価値観も人それぞれです。

そのように一人一人が生きている、孤独な世界を、仏教では「業界(ごうかい)」と言われます。「業(ごう)」とは行いのことで、インドの言葉では「カルマ」と言われました。人は、それぞれの業を通して世界を見ているのだと教えられているのです。

ですから、私たちの心は寂しい存在であると次のようにも言われます。

人世間愛欲の中にありて、独り生まれ独り死し、独り去り独り来る(お釈迦様)

愛欲とは「愛されたい、理解されたい」という心です。私たちは寂しい心をかかえて生きているのです。

「独生独死独去独来」と言われるように、私たちは生まれてくる時も一人なら、死んでゆく時も一人。生まれてから死ぬまで孤独ですから、奥底では心は寂しさに震えているのだと説かれています。

別離によって寂しさを感じるのは、忙しい時には気づかなかった孤独感と直面するからです。

相手に分かってもらいたいと思いながら、じつは「これ以上は誰にも言えない」「こんなことを思っていたのか」という秘密の心はないか、と奥底の心を問われています。

心の寂しさを解消する3つの対処法

どんな人も心に抱えている寂しさは、どうすれば解消できるのでしょうか。今回紹介する対処法はこちらの3つです。

心の寂しさを解消する3つの対処法
  1. 人は孤独な存在だということを知る
  2. 理解し合う努力をしてみる
  3. 自分の心を正しく見つめる

1)人は孤独な存在だということを知る

まず、どんな人も寂しさを抱えた孤独な存在なのだと、知ることがたいせつです。なぜなら私たちは、「どうして私だけが寂しいのか」「なぜ自分だけ理解してもらえないのか」と、「自分だけ」と思うところに苦しみがあるからです。

自分だけではなく、ほかの人もおなじ寂しい心を抱えているとわかれば、心はスーッと楽になります

2)理解し合う努力をしてみる

すべてを理解し合えないからと言って、理解し合う努力を怠っていては何も変わりません。少しでも相手の心に近づこうと理解する努力と、わかってもらうための努力が大切です。

仏教を説かれたブッダ(お釈迦様)は、私たちの身におこる幸せや不幸は自分のおこないによって生み出されることを、理路整然と教えられています。この私たちの運命についての法則を「因果の道理」といいます。

3)自分の心を正しく見つめていく

3つ目の対処法は、自分の心を正しく見つめていく、ということです。仏教は自覚教(じかくきょう)とも言われ、仏教を聞き求めていくと、今まで分からなかった自分の心が見えてきます。

私たちは、誰にも理解されなかった自分の心をすべて理解してくださる方と出会えた時、心から救われます。仏教を正しく聞くと、私たちの心のすべてが理解され、安心した心になるのです。

まとめ

  • 私たちが寂しさを感じるのは、心のすべてを理解し合えない孤独な存在だから
  • 寂しさの解消法は、①人は孤独な存在だと知ること、②理解し合う努力をすること、③自分の心を正しく見つめていくこと
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